【奥多摩・鷹ノ巣山】青春って、1・2・3ジャンプ!ゆううつでもあきらめなかった苦行登山
また1か月以上更新しなかった。GWは有休を使って9連休にしたので、たまには書こうと思う。
本当は昨日~今日で、甲武信ヶ岳にテン泊する予定だった。未だ山の上でテン泊したことがない私は、よく飲む山の先輩友だち(?)といっしょに登るということですごくありがたく、楽しみにしていた。
しかし、関東甲信越の荒天予報で断念。決断してくれたことにこれまた感謝している。
断念したので、昨日の夜、鎮魂するため阿佐ヶ谷に集合して飲んだんですけど、2軒目でえらい飲んでから記憶がバッタリと無くなった。どこかで嘔吐した記憶だけはある。あとはもうまったく記憶なし。水がリュックに入っていた。買ってくれたのかな?
すごいのが、阿佐ヶ谷から新宿に向かい、小田急に乗り換えてちゃんと家に帰っていること。最寄駅からもタクシーを使わず、徒歩で。怖い。怖すぎる帰巣本能。
朝起きてから、毎分「死にたい」と思っている。楽しく飲みたかった。迷惑を掛けたくなかった。つい、博多に住んでいるときほぼ毎日飲んでいた同期に連絡した。「よくあることだよ、どうでもいいやんけ」と、ちょっとなぐさめて欲しかった。しかし返ってきた言葉は
「阿佐ヶ谷でマーキングすんな」
でした。まじ死にたい。
そんな絶望感の中で書くので、まあそういった趣になるかと思います。
2018年4月1日、奥多摩の鷹ノ巣山(標高1,736m)に登りました。甲武信ヶ岳が初めてのテン泊になる予定だったので、荷物の重さを体感したく、テン泊装備を背負っていきました。多分12キロくらいだと思う。
3月末に、直属の上司が退職し、慣れない仕事が多く降りかかってきました。課のリーダー的な立ち位置になり、偉いおじさんたちとも話す機会が増え、ゆううつに襲われる毎日。なにがゆううつって、「自分のダメさ」や「自分の頭の悪さ」に気付かされること。今まで自信があったのは、自分のできることしかやってこなかったからなんだなあ、と。
そんな負の感情スパイラルに陥ったときに救ってくれるものは、「山」!・・・ではないんですね。山に登ろうと、何をしようと、ゆううつは襲ってくる。昔からネガティブになりがちなので、自分なりに負の感情と向き合った結果、何かで気を紛らわすことはあまり有効でなことにはすでに気付いている。「何かで気を紛らわそうとしている自分への嫌悪感」が湧き出てくるので。
それでも山は特別だなあと思うのは、すごくゆううつでも、登りたくなることです。この鷹ノ巣山に登ったときなんて、本当にゆううつだったんですけど、だからこそか、衝動に駆られたのです。
【コース】
(行き)東日原バス停→稲村岩→鷹ノ巣山
登りで使った稲村岩尾根は、「奥多摩3大急登」のひとつと言われているらしいです。大体コースタイム通りでした。
朝、奥多摩駅から東日原行のバスに乗る。奥多摩の中でも玄人向けの山なのか、人は少ない。サッカーチームのコーチ風男性とそのチームの選手風子どもがいたのですが、コーチがスパルタすぎて絶対山嫌いになると思う。
山に登る前の移動中、大体音楽を聴いているのですが、このときは岡村靖幸の「家庭教師」というアルバムを聴いていました。ちゃんと聴いたことないなーと思ってなんとなく聴き始めたのですが、これが衝撃的で。エロティックでサイケデリックでサディスティック。気持ち悪くて(褒め言葉)ここ最近は聴いていない。疲れちゃうのよね。
多分いちばん有名なこの曲が入っています。
寂しくて悲しくてつらいことばかりならば
あきらめてかまわない
大事なことはそんなんじゃない
という一節があります。すごい歌詞だと思います。この言葉に救われる人はたくさんいるんじゃないかと思います。この曲が発売された1990年に、こういうことが言える人はこの人以外にいたんだろうか。
あきらめて、かまわないのか。そうか。
さて、鷹ノ巣山ですが、ひとことでいうと「今まででいちばんきつい山行」になりました。
・いつもより格段に重いテン泊装備だった
・替えたインソールと靴の相性が悪く重度の靴擦れを起こした
・そんな中のクレイジー稲村岩尾根
こんなことが要因かと思います。
この山は何を差し置いても、「稲村岩尾根」だと思います。化けて夢に出てきそうなくらいきつかったです。
これは登り始めかな。奥多摩らしい樹林帯なのですが、勾配が開始しているのが伝わるでしょうか。
この後も、ノー展望で急登が続きます。伝わるでしょうか。勾配。雪も残ってたんです。
もうねえ、「これが終わったら山頂や!山頂のはずや!」と4回くらい思いました。でも全然山頂じゃない。まじでこんなに楽しくない登山は初めてだったかも。
確かこれが最後の急登。
ここまでノーアイゼンだったしザック下ろすの面倒だし私より先に登ってる人みんなノーアイゼンだからいけるか!と思ったら一歩目で盛大に滑り、おとなしくチェーンスパイクをつけました。みんな慣れている健脚さんなのねそりゃそうか。
最後の急登でも、どうせ山頂じゃないんだろ受けて立つぞコノヤロー!と思ったら、山頂でした。どーん。
この「突然の山頂」感はわたしだけでなく、昨日迷惑を掛けた友人も言っていたので多分みんな思うことなんだろう。
奥多摩の中では雲取山のつぎに標高が高いので、展望が良い!急に現れた山頂からの大展望はなかなかのご褒美感。楽しくないとか思ってごめん。
さて、シートを広げて靴を脱いで休憩タイム。靴擦れが深刻にぐじゅぐじゅになっていました。
いつものちゃんぽん麺。だーいすき。
相変わらず墓石のようですね。
この大展望のなか、「わたしはあきらめたくないな」と思いました。
そもそも大失恋で頭がおかしくなって始めた登山、あの恋以上に(書いてて恥ずかしいわ)夢中になっていますし、今までも仕事でもプライベートでも、何かにつまづいたとてがんばってこれたじゃない、だから生きているんじゃない、と。初めての転職で失敗しても、変な男に引っ掛かっても、他人だらけの大都会で、ひとりで生きている。やれるところまでは、あきらめないでおこうよ、と。
岡村ちゃんのメッセージは、「あきらめていいよ」ではなく、「寂しくて悲しくてつらいことだけじゃないなら、もう少しがんばりなよ」ということなのかな、と。実際に岡村ちゃんはこの歌の中で
誰もがもう諦めて苦く微笑むけれど
僕らならできるはず
革命チックなダンキンシュート
と言っています。全然あきらめてない。
・・・と言いながら、靴擦れが深刻だったので、下山は予定からルートを変えて奥多摩湖に下りました。予定のルート(奥多摩駅まで歩くルート)より短い時間で下れそうだったので。しかしこの尾根もまた奥多摩3大急登(諸説あるらしい)のひとつで、これまた勾配がすごい。絶対にここから登りたくない。
途中で六ッ石山にも立ち寄れました。
意外にも、いつも登る丹沢とは違い、階段や木の板等、がちがちの整備はされておらず(奥多摩はみんなされているものかと思っていた)、根道をピンクテープを頼りに下山しました。少しやせた尾根もあり、「山歩きしているー!」という感覚が楽しかった。うちからだと丹沢の方がアクセスがバツグンに良いので、あまり奥多摩にこようとは思わないのですが、これはいい発見だったと思います。
鷹ノ巣山は、ゆううつを忘れるくらい、ゆううつな急登が印象的でした。今はまだ、「また登りたい」とは思わない(笑)
ゆううつの解消方法。ちゃんと傷ついて、あきらめないこと。
時間はかかるかもしれませんが、頭の悪いわたしにはきっとこれしかないんだと思う。ごちゃごちゃ考えても原点回帰。頭からっぽになるくらいきつかった鷹ノ巣山のおかげかもしれません。次に登るときは、またゆううつに襲われたときにしよう。
ああ。ゆううつである。酔って吐くとか大学生かよ。今年三十路だろ。ああ。消えたい。無限ループ。今日はちゃんと傷つこう。青春!